カテゴリ:自己中回想録( 19 )

どうもこんにちは、新東京サーキットの社長です



歳を取ると月日の流れが早く感じると言われているが、その通りだと痛感する。11月20日で六十?歳になった。いよいよ60代も中盤戦。体のアッチコッチ痛い、頭はボーッする、いい事ないように感じてしまう。

しかし昨日、息子夫婦に誕生日を祝って貰った。もちろん、カワイイ孫も一緒に!『こういう歳の取り方も良いな~』と、思えるのはこの歳になって初めて感じる感覚なのか。ちょっと冷静になって考えると私に孫がいるなんて、想像もしていなかった。
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上の写真は息子家族からのプレゼント。私の好みをよく知ってくれている事にビックリだ。どの映画も私の青春そのものだ。

私の孫も、上の子は2歳になり、女の子ながらよくしゃべる


『あれダメ、これダメ』


『あっち行こ』


『こっちおいで』


『イヤッ!』


と、私に命令してくる。



それを心地よく感じてしまうのは、なぜだろう?



孫LOVEって事だな♪



さて、今回は私がカートコースを始める前の話になる。以前、私の過去の話をザッと紹介したことがあったが、その記事で思わぬ反響があった。

『サーキットをやる前の話が聞きたいな』

私の執筆活動を後押ししてくれるような反響を貰って、大変嬉しく思う。本当にありがとう。リクエストにお答えして、話をしよう。若かりし20代のころ・・・

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⇒【過去の自己中回想録


TOYOTAに入社後は池袋営業所(今のサンシャインビルの隣)に配属された。修理やフロントを経験し7~8年位で上司と意見が合わず退職。その後はアルバイト等をしながら、毎夜遊びまくっていた。青春時代とも呼べる時間をタップリと満喫していた時、転機が訪れた。それは実家のある埼玉の川口でぶらぶらしていたら、隣に住んでいた建築会社の社長から

『私の運転手をやらないか?』

と誘われた。断る理由もなかったので、そのままそこに就職することとなったのだ。昔から何かを作るのが好きだった私。2~3年の勤務中、運転手の仕事の傍らで大工等の建築技術を見よう見まねで習得していた。そしたら出ました、私の変な衝動が!

『この技術で、なんかしたい!』

新婚ホヤホヤの嫁さん、そして息子を放って通い詰めました志賀高原!そして作っちゃった、コレを!






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志賀高原に建てたスキーロッジ。

水道や屋根など、専門技術が必要な部分は本職に頼んだが、ほとんど私ひとりで建てた。我ながらよくこんな立派なのが建てられたな、と自画自賛。しかし、なぜスキーロッジなのか?嫁さんにも友達にも沢山聞かれた。


『雪山が好きなの?』


いや、別に



『ロッジのオーナーに憧れてるの?』


いや、別に


なんでかと、考えてみると


まず



他にやることがなかった



そして最大の理由らしきものは


なんとなく


早い話が


思いつきだ


しかしそうなってしまえば、本気でロッジのオヤジになろうと決心はしていた。そんな私とは対照的に、嫁さんはイヤだったようだ。なんせバスに乗るまでには1時間弱下山しなくてはいけないし、雪が降れば頭の先まで降り積もる。バリバリ都会の女だった嫁さんに、そんな極地で暮らすことは想像できなかったのだろう。

その後、あの田中角栄総理の日本列島改造論のお陰で、土地の値段がバンバン上がり、投資額の3倍ぐらいの値段で買いたい人が出てきたので、そのままロッジを売り払ってしまったのだ

嫁さん、声に出して喜んだ

バンザイ♪

ってね。その後、その資金で板橋の志村病院前に喫茶店『ひまわり』を、開業した。これも、今振り返ればビックリする理由だ

なんとなく


つくづく私はひらめきで行動している人間だと、思い知らされる。周りの関係者(特に嫁さん)にも沢山迷惑かけただろう。新婚なのに、あんな山奥に無理矢理連れて行ってしまった。そのロッジで質素な誕生日パーティー・・・。寂しかっただろうと、思う。そのときの1枚がこれだ↓


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まぁ


あんまり気にしてないけどね!

過去は振り返らない性分なのでね。さて、次回は少しカートの話に戻って、所沢サーキットの話をしよう

by n-tokyo-circuit | 2010-11-20 15:15 | 自己中回想録
来年、2011年度は新東京サーキットが30周年を迎える。以前にもブログで書いたが『明日のご飯を稼ぐぞー!』の気持ちで毎日を過ごしていただけの私たち。だから「来年で30周年だね」と、周囲から言われるまでは気付かなかった。

しかし先日、カワイイカワイイ孫と一緒に過ごしていたら不意に「年を取ったなぁ・・・」と、実感。仕事では感じなかったことが、孫を通じて時間の経過を痛感


・・・


孫LOVEだなぁ、オレ♪


最近はすべての基準が孫、まご、マゴ!こんな風になってしまった自分に驚きつつ、ブログユーザーの皆さんには特別に、私の孫たちをご披露します
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孫その一
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孫その二、息子の嫁さんはプライバシーがあるだろうからモザイクかけました(笑)

あ、孫の自慢話じゃなかった!そうそう、前回の続きだ。騙されそうになっているわたくし、果たしてその結果は…
⇒【前回のブログ

事の始まりは「息子がF3に乗るから協力してくれ」との、会話から

私 「一年落ちのF3が800万であるそうですが、どうします?」

アイツ 「買います、すぐ買います!キープしといてください」

その後、

私 「相手(某大手レーシングチーム)が返事をまっていますが?」

アイツ「スポンサーが(自称大手レジャー会社の社長)海外出張で、帰ってきたら支払いするので、もう少し待ってもらえませんか」 

ここで、私が言ってしまった一言。今だったら絶対言わないこの一言!(ってか言えない)なんでこんな気を利かせてしまったのだろうか

「わかりました。それでは料金を私が立て替えておきます」


バカバカ、オレの馬鹿!


なんと車両800万円、そして運搬用トラック200万円!!

合わせると…

(;゚□゚)チーン


そして、しばらくして

私 「支払いはいつ頃になりますか?」

アイツ 「出張が長引いているので、もう少し待ってもらえない?」

さすがの私も怪しいと思い、他のカートコースオーナーへ事情を相談すると、あの男は要注意人物としてかなりの有名人だった!某Fクラブでも被害者が出ているとのこと。以降は慎重に取引しようと嫁さんより言われ(命令?)、警戒しながら付き合っていたつもりが…


でちゃいました


短気な私!!!


「いいかげんにしろ!!!」

大爆発してしまった…。そこからは連絡もつかなくなり、所在不明。例の豪邸に押しかけたらなんと、そこは借家!『言葉が出ない』とは、まさにこの時の言葉。車は手元にあったので最悪の事態は間逃れたか、

F3の車なんて使わないし!

保管するだけで年間スゴイし!!

金かえせー!


結局は高い無駄使いをしてしまった…


あぁ


その後、アイツは本物のレジャー会社の社長に訴えられ、高い壁の中へ。その結果、立て替えたお金は回収不能!


あぁ



今振り返れば、なんでそんな話に乗ったのか。なんで「立て替えますよ」なんて強気に言ったのか。自分自身に反省しつつ、嫁さんには


『また?またやったの?
ばっかじゃないの!


すいません。返す言葉もございません。もう懲りたのでうまい話にはのらない


と思います!(もしかしたらね)


多分・・・ 


もう騙されないぞー!
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↑その頃の私↑

息子いわく

『騙されやすそうな顔だねぇ…』

ほっとけ(笑)

by n-tokyo-circuit | 2010-09-30 16:21 | 自己中回想録
最近、浅草の町歩きにハマっている。

大衆劇場で演劇を見たり、昭和時代の映画をよく見ている。特に小林旭や石原裕次郎、赤木圭一郎などが主演している映画はよく見ている。
私個人としてはやはり『仁義なき戦い』は、名作中の名作だ。深作欽二監督の手法は素晴らしい!今でこそ当たり前の表現だが、当時は非常に画期的な撮影方法だったと憶えている・・・。



・・・



なんの話だっけ???


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今日のお話は20年前位のバブル絶頂期のできごと。

写真を見て分かる人は分かるかな?フォーミュラートヨタ(今のカテゴリーで例えるならF-Nipponになるかな?)に、ワタシがチームオーナーとして参戦していた頃の写真だ。ドライバーは佐野和志(カート界では有名人と呼べるだろう)を起用し、チーム名はなんと

【NTC・カストロールレーシングチーム】

F-TOYOTAは人気が高いカテゴリーだった。当時の好景気の影響もあり、エントリー台数は最低でも40台、最大で60台もいた大激戦区。予選を通るだけでも奇跡と言えただろう。写真を見てもわかるように、スタンドは満員、毎戦の来客数もすごかった!そんなカテゴリーで忘れもしない、富士スピードウェイで優勝したことがあるのだ!!!

エッヘン
<( ̄- ̄)>


これは自慢してもいいだろう。年間ウン千万円も使ったのだ。これぐらいは自慢…


・・・


させてください!
(TmT)ウゥゥ・・・



F-TOYOTAでの活躍が続く中、私は当然のように【F-3】へのステップアップを考えていた。そのような中、絶妙なタイミングで私の前に現れた男がいた。


忘れもしない


忘れたくても忘れられない


あの男!


その男のプロフィールを紹介しよう。


職業(自称ね!)
アメリカ空軍の戦闘機の設計士


今思い返せば、どう聞いたって完全におかしいよね?(笑)

しかぁし、なぜか当時の私は信じた。

なぜなら『秘密事項だからね』と言いつつ、厚さ10cmはあった戦闘機の図面(らしきもの)を見せてくれた。本物の図面なんて知らないのに(笑)簡単に信じてしまった。

さらに、目の前で電話に出て仕事の話をし始めたとき。内容は専門用語ばかりで、聞こえてくる会社名は超有名会社ばかり!これは信じちゃうよね。でも、今思い返せば全部日本語でしゃべってたなぁ…。アメリカの設計士のはずなのに…。英語なんて一言も聞かなかったなぁ…。

さらにさらに、某パチンコ大手メーカーの社長と名乗る人と電話しており、しかも私と電話で話しをさせてくれたのだ!これも本物知らないどころか、会ったこともないから、すぐ信じちゃったよ。

とにかくその男の家は“超”豪邸で、ガレージには外車。これだけ状況が完璧だと、疑えないよ。なんとなく話の内容で、私も完全に舞い上がってたし・・・


だが!


これにはやっぱりウラがあったのだぁ!


今思い返しても・・・


ムカムカ!


種明かし?をすると、まずアメリカ戦闘機の設計士はウソ!(そりゃそうだ、笑)。そして、仕事の電話は2階から奥さんが掛けていた!だから、仕事内容なんて全部ウソ!

そしてそして、某パチンコ大手メーカーの社長、電話越しにペコペコしながら何度も話をしたが、コイツも偽者!(恥ずかしい)

もちろん、すべてが明白になったのは後の事。付き合い始めて約2年後、その男から突然

『息子がF-3に乗るから、車なんとかならない?』

これがすべての始まりだった・・・


さぁ


話は佳境になってまいりました。次回はこのお話の後半。では!

by n-tokyo-circuit | 2010-09-01 16:01 | 自己中回想録
騙された!

と、思ったことは誰でも一度や二度はあると思う。実はわたくし


三度も被害にあってます。


エッヘン!
(えばる事じゃない)

こう見えても人を信じやすいタイプなんです。ほら、見てください↓↓↓
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簡単に騙せそうな顔してるな、このオヤジは。デレデレし過ぎだ

初めて騙されたのは、たぶん騙すつもりはなく、その人も追い込まれてしまい、結果的に騙してしまった。。。いわば小心者詐欺。(以前のブログでふれた人物)
⇒【自己中回想録

もう一回は最近の話。その人物は、とあるモータースポーツ関係のショップ経営者。サーキット場ではお客さんとして走りにきていた。ある日、いつもの他愛もない話の中で

『そんないい物があるんだったらうちのショップで売ってあげますよ』

と、言われ私のコレクションを預けた事があった。そのモノとは、超有名F1ドライバーたちのサインが入った、本物のF1タイヤ!ベルガーや鈴木亜久里、ジャンアレジ、そしてあのアイルトン・セナ!!!(他にもあったけど忘れてしまった)


それからほどなく

『売れましたよ』

との連絡あり!なんと120万円ほどで売れたらしく、すごい喜んだことを憶えている。

その後

『内金が入りました』

そして

『本人が海外出張から帰ってきたら決済します』

それからそれから

『そのうち、、、もう少しで、、、来週にでも、、、』


と、段々連絡が取れずらくなり

ついに電話も出ず!

ショップも閉鎖!!

私のタイヤも行方不明!!!

あぁぁぁーーーーー!!!
( ̄皿 ̄;;



後でわかったが、私以外にも被害者がいたようで、完全なる計画的詐欺師。確信犯。

まぁ、後で冷静になってふりかえれば、世の中そんなうまい話がある訳もなく、元々お金がかかってない有名人のサインで儲けちゃおー♪なんて思っていた自分が馬鹿だった(猛反省)


そして、三度目の話は・・・


今振り返って考えただけでも・・・


ムカムカしてきた・・・



あぁぁぁあぁーーー!
(▼皿▼メ)ノ



・・・


ふぃ~。落ち着け落ち着け。


この話は長くなるだろうから、また次回に話そう。


詐欺師を本業としていた一家とのお話を。
お楽しみに☆


・・・


ちなみに


被害総額は


10,000,000円!!!!


トホホホ
。・゚・(ノε`)・゚・。

by n-tokyo-circuit | 2010-08-10 11:44 | 自己中回想録
なんだかんだで、いつの間にか時間がたってしまい、

性格なのか

年齢のせいなのか

夢中になっている時と

何もしたくない時との差が結構あって

・・・

それって


飽きやすいって事か


じゃぁ、


性格か・・・

ただ他にも体調がちょいとすぐれない事もあいまって、間が空いてしまい申し訳ない。


深刻に考えてる訳ではないのだが、このごろ初老を感じる年代になった。体力の衰えも感じるようになり、ちょっと弱気になってしまう。しかし、若い人と話をしたり仕事をしたりすると、まだ自分にも思考能力や感性が残っていると実感する時がある。そんな事を感じれると、また明日も頑張ろうかな~、なんて思える。

『この先の限られた人生をどう生きてゆけばよいか』

なんて考えながら過ごす中、何かを始めた時や考え始めた時に

『まだ自分は成長している』

と感じると、若い時には感じなかった喜びが沸いてくる。一時的せよ、それが今の私の充実感となって生きるパワーを与えてくれている。


ただ最近は仕事より、


なんと申しますか・・・


趣味というか


なんと言うか・・・


遊んでばっかいるな


よくよく考えれば、仕事よりそっちの方からパワーをもらってる気がする。


うん


あんま仕事してないや


まぁ、仕事は若い人が頑張っているから、余計な事は・・・ね。『この頑固親父、全部まかせて早く引退しろ』と、思っている方もいるかも。でも遅かれ早かれ、いずれは消えてゆくからそう思っている人もそれまでは我慢してくださいな。
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この写真を見ていただければ分かるかと思いますが、今の私にとって大きく生きるパワーになっている。

孫サイコー☆

ちょっと前までパサコンをいじったり、ましてブログを始めるなんて考えられなかったアナログ人間が、皆さんにこんな形で見てもらえるなんて。便利と言うか、素晴らしい世の中になったもんだ!

三丁目の夕日世代より


追伸
by n-tokyo-circuit | 2010-07-09 22:15 | 自己中回想録
振り返れば、もう13回目の投稿になる。周りからは「よく続いているね」なんて言われるが、私から言わせれば続いて当然の事。なぜなら、まだまだ書きたい事や伝えたい事が山の様にあるからだ。この先も、ブログの題目である「自己中」という言葉通り、ラフでナウな感じ(死語)で書き込んで行けるよう、頑張ります。

しかし最近の私の頭の中は、もっぱらブログの内容ばかり。何を書いたら面白いブログになるか…。

1にブログ

2に仕事

(ダメやっちゅーねん)

私の初恋の話や、初めてのチョメチョメ経験談だと、皆様あまり興味がないかなぁなんて考えたが…

え!?

興味ある?

じゃ、私が十九の夏に経験した話を・・・

って、いやいや!その手の話はいずれに。ジュニアカーターたちも見ていたりするので、いろいろ差し障りがあるだろう。

・・・

もうそろそろ隣の奥様からの鋭い目線が気になってきたので、この辺で…。
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小さい頃、街頭テレビで力道山の空手チョップに興奮し、映画『三丁目の夕日』の設定と何ら変わらない時代を過ごした。他の少年とちょっと違ったのは、あの葉巻型のF1(エフワン)が大好きだった事。ジム・クラークやジャック・ブラバム、グラハム・ヒルに憧れ、ホンダ初参戦に胸をときめかせた少年だった。

その後、それなりの高校に受験をして見事入学したのだが、

親にも黙って高校を退学

そして、一緒に辞めた友人(悪友)と自動車学校に入学

最後は二人揃ってトヨタに入社し、そこで出会った先輩からモータースポーツの楽しさを教えてもらった。そして前回のブログに書いた船橋サーキットへのながれに。
前回のブログ⇒【クリック

レースをはじめてすぐに福沢幸男なる人を紹介され、その人からもいろいろ教えて頂いた。その人は、かの有名な福沢諭吉のひ孫にあたる方。それだけでもスゴイのに、見た目が今で言うイケメン!家柄良しで女性にもてまくり。当時人気があった歌手との交際は世間を賑やかし、その人生すべてが憧れだった。

それから間もなく富士スピードウェイがオープンし、あの伝説の30度バンクを走り、自分の限界を知って

レーサー引退
(2~3回程度しか走ってないが)
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※富士の30度バンク!

それからの私は、以前紹介した千葉カートランド誕生の話へ繋がっていく。
その時のブログは⇒【クリック

あれから三十何年…。こういった特殊な仕事をやっていると本当に色々な人達に会う。良い人もいれば嫌な人もいる。そんなすべての人達含め、振り返ってみれば人間同士の出逢いってつくずくおもしろいなーって思う今日このごろです。最後に、その数え切れない出逢いの中で一番大切な『出逢い』を、ご紹介しよう。

これだ~。
(ベストハウス123風に)

ワン↓


ツー↓


スリー↓
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『出逢い』と、書くよりは

『出愛』

と、書いた方が我々には相応しいだろう。

つづく

by n-tokyo-circuit | 2010-03-17 13:20 | 自己中回想録
☆過去の自己中回想録はコチラ☆
初めての全日本秘話シリーズ
回想録その5⇒【クリック
回想録その6⇒【クリック
回想録その7⇒【クリック
回想録その8⇒【クリック


では、本編のはじまりはじまり~↓
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18歳で免許を取って、すぐにトヨタの観音開きのクラウンを16万円で買った。それ以来20台位乗り換えて来たと思う。その回数が車好きにとっては多いのか少ないのか分からない。多いと思われても少ないと思われても、私にとってはその1台1台に思い出がある。その中でも特に印象深い相棒(車)は…

恥ずかしながら、上記の写真は若き日の私と【トライアンフ・スピットファイア】だ。給料3万円しかなかった当時に、月賦(今で言うローン)で毎月2万円支払っていた。

親を騙し

友達に借り

なんとかやりくりしながら、オープンカーのスピットファイアをガソリンスタンドに乗りつけ

「ガソリン10リッター入れて」

と、言うのがカッコよかった、19歳の俺。

2人乗りの定員に男女6人乗って馬鹿騒ぎしていた頃。パトカーに捕まって同乗させられて羽田署まで連行された、20歳の俺。

その頃に、当時のビックスター石原裕次郎氏所有のガルウイングのベンツに魅せられ、それ以来「将来絶対あのベンツ乗ってやる!」と誓ったのだ。

そして買ったぜ、ガルウイングベンツ!

ではないけれど、ダブルバンバーの中古ベンツを!(確か当時150万位で買った記憶が残っている)。納車が待ちきれず品川の業者の店まで足取り軽くルンルン気分で取りに行き、たまたま目の前にあった神社で「この幸せがいつまでも続きますように~♪」と本気で願った、34歳の俺。

そういえば、あの頃の復刻版ガルウイング・ベンツが限定で発売される。さすがに手が出ない値段なのでカレンダーの写真を見て、いつの日か買える事を夢みながら来月人間ドックを予約した、60?歳の俺。
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船橋サーキットでレースに出る為に、あえてコロナGTを買った偏屈な俺。当時はイスズベレットGTの全盛期。たしか出場台数30台中28台がベレットGTだった時代。なつかしいなぁ。
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思い返せば、車に関してはいろいろあったので、いずれまた書き込む事もあるだろう。私の事を語る上では何といっても




は切っても切り離せないのだ。

…もちろん独身時代の話。過去とは言え、とりあえず奥様の許可を頂いてから後日に話そうかな~なんて。女性との艶話は私の場会はいっぱいある。なにから話そうか…と、社員に得意げに話していたら、

『いい歳こいて見栄はるな!』
by新東京奥様

60?歳にもなって怒られてしまいました。スイマセン…

by n-tokyo-circuit | 2010-03-06 18:00 | 自己中回想録
セナがきたーー!!

日本では『音速の貴公子』で知られ、残した戦歴は数知れず。私の中での神様、世界チャンピオン『アイルトンセナ・ダ・シルバ』が、我がコースに立っている。さすがのアイルトン・タカ(石橋貴明)も、来る前からソワソワ。スタッフもピリピリムード。私もドッキドキだった。そんな中やって来ました。
セナ様!(当時のCMでの呼び名)
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そんなセナ様の印象は【素晴らしい人間】の一言。それを感じられた思い出話を少々…。

【セナ様は素晴らしい!その壱】
来る前にスタッフからサイン禁止令が出ていたのにも関わらず、本人からの申し出てにより急遽サイン会を開催。混乱しない様にと、一列に並んでもらい希望者全員に書いていた。もちろん、私も書いて頂きました。しかも新東京オリジナルのTシャツとトレーナーに!
ラッキー♪

【セナ様は素晴らしい!その弐】
打ち合わせの時『最後に日本の子供達にカートの素晴らしさをメッセージするから、そこは絶対にカットしないで放映してほしい』と、本人が言っていた。モータースポーツの将来を考えてくれての発言だろう。当時、その言葉に深く感動した記憶がある。

・・・

・・?


内容は忘れてしまったなぁ。
…スイマセン


【セナ様は素晴らしい!その参】
チョンマゲのカツラを被ってタカさんとチャンバラをやったり、バラエティーを楽しそうに、やっていた。あのF1世界チャンピオンのセナがだよ!?彼の人間性は本物だ。その様子を伺える映像があったので↓





続きを見たい方は、どこかで探してください☆

【セナ様は素晴らしかった…】
ロケ終了後スタッフと握手。私にもしてくれた、あの力強い感触は今でも忘れられない。『また来年来るから!』と約束したのに…。クリスマスカードを送ってきてくれたり、タカさんと約束したヘルメットをちゃんと届けてくれたり。ただ依頼主の名はセナのお姉さんのビビアー二だった…。
最後に、思い出がたくさん詰まった写真を皆さんに見てもらいたい。↓
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94年5月1日 サンマリノから天へ

by n-tokyo-circuit | 2010-02-18 13:53 | 自己中回想録
生ダラカートグランプリ② ウラのウラエピソード集

前回の続きはコチラをクリック⇒【生ダラカートグランプリ誕生ウラ話

前回ブログに書いた『生ダラカートグランプリ』のロケ中には、数え切れない程のアクシデントやハプニングがあった。その中でも特に印象深かった出来事を、ここで語ろう。

その(一)
【“男”石橋貴明と“芸人”アイルトンタカ】

セクシーダイナマイトコーナー
スターにしきの
負け犬サダ
泣きの一回など
色々な迷言を生み、沢山のコーナーを生み出した。
その中でも特に人気となったのは、毎回体を張った罰ゲームで人気を博した

【髪きりデスマッチ】

特に定岡さんはよくボウズにさせられていたので、皆さんもご存知ではないだろうか?モータースポーツ界からも亜久里さんがその餌食になり、見事な丸坊主になったこともある。当人のタカさんは【泣きのもう一回】のレースで救われたり、うまく逃げ切っていたのだが…。

とある撮影の日。
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場所は現在の市原市のコースで、コンディションは雨上がりと最悪のコンディション。そんな中、当サーキット名物のモナコヘアピンでアイルトンタカさんは何度もスピン!得意の【泣きのもう一回】で再レースをするも、同じ所でまたスピンしてしまい結果は惨敗。

コースから戻って来たタカさんは怒っている…?いや、私の目から見てもかなり怒っている。現場に緊張が走る…。このまま撮影は続けられるのか…

と、思いきや

実は、何度も同じところでスピンをする自分に腹を立てていたのだ。
よほど自分を許せなかったのか、本人の口から

ボウズにしろ!!

その場にいた全員が顔を見合わせ、あきらかに驚いている。ホントにいいの?と、恐る恐るバリカンを入れるサダさんに亜久里さん、そしてマッチさん。でも、さすがはタカさん。すぐに芸人としていつもの様にアドリブトークをバンバン飛ばしながら場を盛り上げた。そして、あのキレイで見事な丸坊主になったとさ。

ジャンジャン☆

その(二)
【館ひろし伝説】

カートでは肋骨にひびが入ったり折れたりするのは、さして珍しい事故ではない。

著名な人物となれば、話は別だろう。
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それは練習中に起きた。その日の撮影はゲストにあの【舘ひろし】が出演。早めに来た館さんは初めてのカートという事で面白がって走っていた。そのうちにコース上から『ドン』と鈍い音が。もしや!?と現場の方を見ると、なんと舘さんが単独でクラッシュしていた。
「横っ腹が痛いな」
と舘さん。すぐに病院へ直行!案の定、肋骨にヒビが入っていた。その後、周りのスタッフ関係者は

「撮影は止めさせよう」
とか
「代役で走らせよう。ヘルメットだからわからない」
とか
「このまま走っても、よけいに悪化しますよ」
とか、もちろん出演の話はナシの方向で進んでいたのだが・・・

“男”館ひろしは代役を拒否!自分でやると言い出した!

皆さんも大なり小なり経験があるかと思いますが、骨にヒビが入った状態でカートに乗るなんてありえない。しかし舘さんは準備し、そのままロケへ突入。見事に撮影を終わらせた。プロ根性というのを初めて目の当たりにした出来事だったとさ。
ジャンジャン☆

次回、アイルトン・セナ生ダラ出演エピソード!!

つづく

by n-tokyo-circuit | 2010-02-03 16:54 | 自己中回想録
皆さんはカートがテレビで放映されていた事をご存知だろうか?そう、91年から始まった日本テレビ系の水曜夜8時の

【とんねるずの生でダラダラいかせて!】
 
それまで「カートってなぁに?遊園地のゴーカートとどう違うの?」と、この程度しか認知度がなかったカート界。しかしこの番組のお陰で子供から大人、さらには飲み屋のおねーちゃんまで、幅広くレーシングカートを知ってもらる機会となった。今現役で走ってるドライバーの中にも、生ダラを見てカートを始めた方も多かったのではないだろうか。

さて、このカートレース企画はどうやって誕生したのか?

実はこの話、テレビ局から持ち込まれた企画ではなかったのだ。それにはこんなエピソードが…。

今でもお付き合いのあるレコーディング・エンジニアのFさんがいる。もう20年以上も昔の話になるが、Fさんがカートを乗りにサーキットに遊びきていた時、今一緒に仕事をしている作曲家Gさんを連れてきてくれた事があった。そのGさんは当時、工藤静香やとんねるずの曲を提供していた大物作曲家。そのような大きな仕事をしていたにも関わらず、腰の低い大変いい方で、ポルシェのレースに出る為、カートで熱心に練習していた。
ドライバーとして何度か生ダラにも出演していた事もあった人だ。そんなGさんが突然

「こんど貴明連れてくるわ」

えっ、貴明って、あの石橋貴明?とんねるずの?

そんな、まさかね、、、
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やって来ました貴さん!

当時、レギュラー番組を何本も持っていた人気絶頂のあの【とんねるずの貴さん】がカートに乗って走りまくってる。

1コーナーで転倒して泥まみれ!

スピンを繰り返しまくり!

関係者はヒヤヒヤだったろう。そんな周囲の気持ちとは裏腹に、本人は楽しそうに走っていた。そして貴さんの口から、今でも忘れられないあの言葉が出た。

「こんな楽しいもの、もっとメジャーにしないきゃだめだよ」

すべてはこの一言から始まった。そして誕生した生ダラの人気コーナー、

【生ダラカートグランプリ】

話が出てからとんとん拍子に企画は進み、打ち合わせ、撮影、放映まであっという間。最初は2~3回で終わる予定が、あまりの大反響にその後何十回も続いた名物のカート対決。関東地区だけでも毎回200万人近くの人が見ていた。視聴率も20%越えが度々あり、1時間まるまる放映したことも何度かあった。我々カート界にとって、大変ありがたい“現象”であった。

振り返れば、キッカケを作ってくれたFさん、アイルトン・タカを連れてきたGさん、そしてテレビに取り上げた貴さんに制作スタッフさんたち、

感謝です!

by n-tokyo-circuit | 2010-01-24 18:18 | 自己中回想録